たくさんの自由を失って
自由の価値を知ったときには
のこされた自由はもう、あまりありませんでした
それでも
大都会のど真ん中で、自分たちの生活だってラクではないのに通ってきてくれた友達や、助けてくれたご家族がいました
すっかり弱った母親が何もできなくても、ずっと煩悶していても、
子どもたちは不平を言うどころか素早く体調を見てとっていました
ときには私自身よりも先に、顔色のわるさや様子のおかしさに気づいて、母親に向かって知らせながら助けてくれました
お蔭で私は 母親でありつづけることができ、
絶飲絶食がつづく体調の日でも、子どものこととなれば、ときおり死に物狂いになって取り組みました
一気呵成にはできなくても、いいんです
泣き寝入りしない、あきらめない、それだけ
わずかにのこされた 精神の自由は手放さない と決めて、
それがここまで生きのびるための拠りどころになりました
一家離散 を求められたこともあったけれど、
泣き寝入りしない、あきらめない
そうしているうちに、子どもたちの道が拓けてきました
想像を超えたとびきりの出逢いとともに!
子どもたちが希望の道に進み出てはがんばっているのを見ていて、私も再三諦めかけていたことを、諦めないことにしました
困ったことにぶつかるたびに解決してきたことはいくつもあります
ところが・・・
足掻きつづけても、個人がどんなにがんばったところで
苦しみを脱することができない日本社会の落とし穴を、制度の中に知ってしまったのです
たとえば、
ひとり親が障害に陥ると(もしくは障害のある人がひとり親になると)
障害への手当とひとり親家庭への手当は、どちらかしか受けられないこと
世帯収入は確実に貧困ラインを下回り、
障害年金をとれば、ひとり親家庭支援から外される 仕組みがあります
世の中の落とし穴から、声なき声を伝えなければ、死んでも死にきれないと思いました
ネット検索や車椅子に助けられながら調べていたことを、口述筆記 や 音声入力 でつづって行きました
やがて 論文 になったものを、近所のおじさまに相談し、お奨めの出版社に送ってみると、
すぐに 全文掲載 のご返事をいただきました
筋力や体力がないということは、使える時間が少ないということ
スタミナのない私には、命をいただくに等しいほど有難いトントン拍子でした
論文の発表は、新しい出会いを連れてきてくれました。
(つづき)
コメントをお書きください
谷 幸湖 (木曜日, 26 3月 2020 20:42)
はじめまして♪
ウチも、障害を持ちながら子供を授かり、結婚生活をしていましたが、
残念ながら、離婚してしまいました
そこで、一人親で支援を受けれる。と言うことを知り、お願いしていたんですが、残念ながら、障害者二級の障害者手帳で年金ももらってます
それが今まで児童手当があったのがはるから、高校生になるから、無くなるので、支援を受けれないのが厳しいんです。肝臓の障害も持っており、かなり厳しいです。
実家に住まわせてもうてるので、
家賃として五万だけで全部使わせてもうてます。
でも、高校生になると児童手当もなくなり、かなりきついと思います。
そのため一人親家庭への支援は、
ホンマにお願いしたいです。